あんず林のどろぼうを知ってますか
新緑が目にまばゆい季節になりました。新緑や色とりどりの花を見ているとやさしい気持ちになります。
先日、0歳児ひよこ組の子どもが本園に遊びに来ました。そのとき久しぶりに気づいたことがあります。それは、なぜこんなに赤ちゃんの瞳は澄んでいるのだろうかということです。1歳児以上の子どもたちの瞳は澄んでない、ということではありません。子どもがいろいろなことに取り組むようになると、目にも意志があらわれてひとりひとりが違う輝きをみせます。ところが・・・
べビーカーに座ったひよこ組の子どもたちは、みんなが透き通った同じ瞳で周囲を見ているのです。不思議に思いながら、別の園に行った時も、0歳児はやはり同じ澄んだ瞳で私たちを見つめていました。子どもには自我の表出が出てくる時期がありますが、それ以前の子どもは外界を受け入れる瞳が「素」であるために透き通っているのでしょうか。そういえば、自分の子どもも姪にもこんな瞳の時期がありました。
そこで思い出したのが立原えりかさんの「あんず林のどろぼう」というお話です。この童話は今から20年以上前に小学校6年生の教科書の一番初めに載っており、教員だった私は何回か授業で取り扱ったことがあります。あんず林に迷い込んだどろぼうが捨てられていた赤ん坊と置き手紙を見ますが立ち去ろうとします。ところが、赤ん坊に手を差し出されて思わず抱き上げてしまいます。このとき赤ん坊の目に映っているのがピンクのあんずの花と青い空だけだった、というくだりがあり、私は赤ちゃんを身近に見るようになってから、この童話の描写のすばらしさを再発見しました。どろぼうは今まで自分の親を始め、誰からも愛されたことがなかったのですが、赤ん坊に微笑みかけられすやすや眠る顔を見て、覚えず涙がぼろぼろとこぼれ落ち、盗品である持っているもの着ているものをすべて捨ててしまい、赤ん坊をしっかり抱きかかえてあんず林の中をしっかりと歩いていくところでお話が終わります。
あのときあの教室で「あんず林のどろぼう」を一緒に読んだみんなは、今、どこでどうしているのだろう。 園長 田中 裕